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【満行寺沿革】
毛利家家臣、坪井玄蕃満行は、石山の合戦の際に毛利家から本願寺を助成するために派遣され戦功を納め、本願寺第11世顕如上人に謁する機会が多く、上人に帰依し出家し祐伝と号しました。
吉田に帰り、上殿という古い寺のあった地を毛利輝元から下され、天正年間(1573~91)に一宇を建立しました。自身の諱をもって寺号とし、土地の名を山号(後年、現在の山号「浄殿」に改める)としました。
毛利輝元が広島へ移ったので寺を嫡子祐善に譲り、次男玄徳と共に広島へ移り小庵(現在、広島市東白島町万行寺)を結びました。
防長移封のとき祐伝・祐善は萩に移り、慶長10年(1605)今の地に建立したのが萩「満行寺」の始まりです。
開基 祐伝(文禄二年往生)
第二世 祐善(明暦三年往生)
第三世 忍誓(元禄十年往生)
第四世 玄超(宝永五年往生)
第五世 天瑞(宝暦四年往生)
第六世 祐瑞(安永八年往生)
第七世 恵安(文化五年往生)
第八世 祐淳(天保九年往生)
第九世 円乗(安政五年往生)
第一〇世 乗龍(大正十四年往生)
第一一世 乗信(昭和十四年往生)
第一二世 正弘(昭和十九年往生)
第一三世 昭憲
第一四世 隆範
満行寺住職 坪井 隆範
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